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ヨダがライネたちの家に泊まり始めて三日目。もう熱も下がって自由に動けるようになってきた彼は、家の物色を続けていた。よくないことだとは思うが、目的のためには手段を選んでいられない。ライネがバイトに出かけている間に二階へ行き、扉を開ける。
「うわ、何この部屋」
たくさんのパソコンと、よくわからない機械が並んだ部屋。中央には緑色の大きな机があり、床には大量のコードが乱雑に散らばっている。ミドの実験室と比べてあまり整頓されていないらしい。それにしてもやはり普通の家とは思えない設備である。ヨダはコードを踏まないように慎重に、パソコンデスクへ近付いた。その上に置かれていた、ノートが気になったのだ。手に取ってめくってみると、ヨダには意味のわからない図や記号がびっしりと書き込まれていた。
(うわあ、ミドちゃんの構造式も大概だけどこれもわけわかんない)
何か手がかりが見つかればいいと思っていたが、これでは何もわからない。ヨダはとりあえず中身をぱらぱらと流し読みして、他に読めるものはないかとデスクの引き出しを開けた。
「ライネのやつ、一体何冊こんな暗号みたいなの書いてるの……あ」
引き出しの中にあった数冊のノートを最初同様ぱらぱらとめくっていると、一冊だけ内容が異なるものがあった。それには様々な種類の男性の顔が描かれていて、他のノートにある回路図などは一切載っていなかった。
「何これ、絵上手いし。あれ?」
ノートの書き込まれている範囲の終わり頃に、見覚えのある顔が何個も描かれていた。
(イヴくんだ)
ノートにはいろんな角度から見たイヴの顔が描かれていて、その特徴に関して細かく書いてあった。
(デザイン案?そういえばイヴくんロボットだもんね)
あまりにもこの家の住人に馴染んでいるものだから、彼がアンドロイドであるということを忘れていた。人間に造られた存在なのだから、デザイン案があったっておかしくない。
(……いや、おかしいよ)
ヨダがそのデザイン案に違和感を覚えるのに、さほど時間はかからなかった。ここに来てすぐにミドが聞かせてくれた話。イヴは六年前にミドが拾って、ライネはその三年後にここにやってきたのだと言っていた。それなのに、イヴが来た頃にはいなかったはずのライネがイヴのデザイン画を描いている。これではおかしいのだ、時系列が。
(これ、ライネの字だよね……)
デザイン画の傍に書かれた文字と、最近ライネが書いたらしいノートの字を見比べる。それらはどう見ても同じ人物が書いたもので、デザイン画がライネ本人が書いたという証拠だった。
(それじゃあ、ライネはイヴくんが拾われるより前にここに住んでたってこと?ミドちゃんは嘘を吐いてたの?)
一体何のために?そんな嘘を吐いたって、何の得にもならないのに。それにあの時のミドは嘘を吐いている様子など微塵もなかった。もしかしたら彼らがやって来た順番を言い間違えただけかもしれない。そこまで気にすることではないだろうと、ノートを元に戻した。



「ヨダくーん、どこですかー」
部屋を出て隣の部屋のイヴに話でも聞こうかな、と思っていた時に階段の下から声がした。ミドの声だ。慌てて階段を降りる。
「どしたのミドちゃん」
「あ、上にいらしたんですね。おやつ買ってきたんですけど、食べませんか」
ミドはヨダがひょっこりとリビングに顔を出すと、ケーキの箱を持ち上げて見せた。
「やった、食べる食べる」
ケーキなんて食べるのはいつ振りだろうか、そんなことを考えながらヨダはミドのそばに寄った。
「どれにします?」
ミドが箱を開けて中を見せた。そこにはケーキが三つ入っていて、ショートケーキとガトーショコラ、チーズケーキとそれぞれ違う種類のものだった。
「ショートケーキがいい」
「じゃあ僕はチョコレートのにしましょうかね。あと一つはライネくんに残しておきましょう」
ミドは選んだ二つのケーキを皿に取り分けて、残ったチーズケーキを冷蔵庫に入れた。ヨダはここにいる人は四人なのに、ケーキの数は三つなのが引っかかった。母に一人だけお菓子をもらっていた弟を思い出して、嫌な気分になる。
「食べられないから仕方ないんだろうけどイヴくんのがないのって、なんかやだね」
「そうなんですよ、僕も結構気になって。本人はそういう気遣いは必要ないって言うんですけど、一応埋め合わせはしてます。ほら」
ついヨダが呟くと、ミドは鞄をまさぐって中から何かを取り出した。
「文庫本?」
「彼読書が好きなんですよ。値段もケーキとそう変わらないんで代わりに」
「へー……いいなあ、ボクここの子になりたい」
そんな風に家族が気遣ってくれることが羨ましかった。ヨダには自分のためにわざわざ埋め合わせをしてくれる人なんかいなくて。だからつい、冗談のつもりで言った。しかし次の瞬間、ミドがあっさりと返すものだからヨダは呆気にとられてしまう。
「なります?」
「へ?」
「この際ですしもううちに住みましょうよヨダくん。イヴくんはご飯食べませんし、今更一人増えたって変わりませんよ」
「いやいや、冗談だよ。それくらい羨ましいなって、思っただけ。ほら、ケーキ食べようよ」
予想外の返事にかつてない程動揺してしまう。ヨダは慌てて会話をケーキの方へ誘導した。まさか歓迎されるなんて思いもしなかった。こんな人殺しを保護するどころか住まわせようなんて何を言うんだこの人は。
「そうですね、いただきます」
「いただきます……」
ヨダはまだ落ち着かないまま、フォークでケーキのてっぺんの苺を突き刺した。昔は好きなものは最後にとっておく主義だったが、他人の顔を見られなくなったあの事件からやめた。大事なものは誰の手にも触れないところに置いておかないと。だからヨダはこんな風に家に自分を置いて寛ぎ切っているミドやライネのことが不思議だった。警戒心がなさすぎるというか、お人好しというか。
「そういえばさ、ミドちゃんってライネのこと以外に何研究してるの?」
話をすり替えるつもりで、ヨダはミドの研究内容について尋ねた。実際彼が普段何をしているのかは気になっていたし、都合がよかった。
「大学の方で四季病って病気の治療薬を作る研究のお手伝いをしてますよ。かなりの難病でもうずっと手こずってるんです」
「本棚にいろいろ置いてあったね。やっぱりあの病気の研究してたんだ。何でその病気に興味持ったの?」
「興味?」
何気ないヨダの質問に、不思議なことにミドは首を傾げた。聞いている意味がわからない、と言うように。
「だって研究って、自分がやりたいことすすんで選んでやるんでしょ? 興味でもなくちゃ出来ないじゃない」
「そう……ですよね、どうしてだったっけ」
ヨダはそこで、不自然さに気付くべきだった。自分が生業としていることの要因が何だったか答えられないなんて、そうそうないことだ。しかし彼は動揺していたこともあり、言葉を続けてしまう。
「興味があるわけじゃないんだ。誰か大事な人がその病気で、治したかったとか?」
「大事な、人……」
ケーキを切り分けていたミドの手が止まる。その時ようやく、ヨダもミドの様子がおかしいことに気が付いた。しかし彼が声をかける前に、ミドが手にしていたフォークがかちゃん、とテーブルに落ちた。
「、っ……!!」
「ミドちゃん!?」
突然、ミドが頭を抱えて息を詰まらせたのだ。彼はうぅ、と唸りながら酷く苦しそうにテーブルに突っ伏した。ヨダは仰天して、思わずミドのそばに駆け寄る。
「ごめ、なさ……頭、痛くて……」
「どうしたの急に、さっきまで何ともなかったのに……!」
「ときどき、あるんです。大丈夫です、すぐ治まりますから……」
そうは言ったって、この苦しみようは大丈夫には見えない。かといって何が出来るわけでもなく、ヨダは痛みに耐えるミドが落ち着くまでただ見ていることしか出来なかった。



「ねえライネ、ミドちゃんって持病でもあるの?」
ライネが家に帰って来てから、ヨダは彼にミドのことを尋ねることにした。あまり触れるべきことではないのかもしれないが、あんな様子を目の当たりにしてしまっては聞かなければならないのでは、と思った。今思えば初日の夜も、ミドは頭痛に苦しんでいたようだった。二度も見ていると、さすがに放ってはいられない。
「え、どうした? あいつ、具合悪いのか」
「うん、なんかちょくちょく頭が痛くなるみたいだから」
ヨダがそう言うと、ライネは一瞬渋い顔をした。やはり何か心当たりがあるのだろうか。
「あー……あれか……」
「やっぱり何かあるの」
「言ってもいいかなこれ……まあお前、ミドと仲良いみたいだから伝えといた方がいいか」
「なんなの」
妙に含みのある言い方をするライネにじれったさを感じた。しかし次に続けられた言葉は、言い淀むのも仕方のないものだった。
「あいつ、記憶喪失なんだよ」
「え?」
記憶喪失。聞き慣れない言葉に、ヨダは思わず聞き返してしまった。事故やストレスで過去に起きたことを忘れてしまうという、あの?
「三年前にちょっといろいろあってな。精神的な理由でそれより前の記憶が一部分抜けてるんだ。本人は記憶がないって自覚はないんだけど、思い出しそうになると頭痛がするみたいだ」
「そんなことあったんだ……ファンタジーだと思ってた」
「あるんだよ。思い出すと絶対苦しむからオレたちは触れないようにしてるんだけど。お前もあいつが頭痛そうにしてる時は話逸らしてやってくれ。特に四季病の話は駄目だ」
ライネの言葉にヨダは少しどきりとした。四季病の話はついさっきしてしまったばかりで。しかしそれと同時に疑問も浮かび上がってくる。
「どうして? 彼、四季病のこと研究してるんじゃないの?」
「研究してる時は平気みたいなんだけど、どうして自分がそれを研究してるのかがわからないらしい。だからなんでこの病気研究してるの、とかは聞かないでくれ」
ごめんなさい、もう聞いちゃったよ。ヨダは心の中でそう謝った。さすがに口に出す勇気はなくて、慌てて言わなかった振りをする。
「……うん、わかった。ねえ、ライネはミドちゃんが忘れたものが何か知ってるの?」
まるで何もかも知っているようなライネの口ぶり。そう尋ねると彼は、酷く悲しそうな顔で、言った。
「……今のあいつには、必要ないものだよ」



(ミドちゃんは、三年前に何かを忘れた……)
最早拠点になりつつある地下室のベッドの上で、ヨダは今まで知ったことを整理していた。ミドから聞いたこと、ライネの部屋のノート、三年前からミドは記憶喪失だというライネの話。それを頭の中で反芻していると、ある共通点に気付いた。
(……三年前?)
三年前というと、ミド曰くライネがこの家に来た年だ。ミドが記憶を失ったのも三年前。偶然とは思えない。
(そういえば、あの時言ってたことも変だ)
ふと、ライネと一緒に喫茶店に行った時のことを思い出す。あの時ライネは炎にトラウマがあると言っていて、何故家を建てる時にコンロを火の出ないタイプにしなかったのか、うっかりしていたと嘆いていた。まるで家を建てる時に自分がいたと言うような発言だ。
「……きっと、ミドちゃんが忘れたのはライネのことだ」
もうそれしか考えられない。三年前にミドは、どういうわけかライネの存在を忘れ、その時初めて出会ったことにした。そして理由はわからないがライネたちも本当のことを言わずにミドの記憶をそのままにしている。三年前にあった辛いことというのは一体何なんだろう。忘れてしまう程、思い出すのも苦しいこととは、どんな出来事だったのだろう。



ヨダがライネたちの家に来て五日目。家の構造も把握して、ヨダがふらふら歩いているのも別段警戒されなくなった頃、彼はミドの実験室の脇にある本棚を眺めていた。もうこうなったら、ライネのことを徹底的に調べてやろうと思った。ライネの身体について研究しているミドの本棚なら、それに関するデータか何かを見つけられると踏んだからだ。
(案の定、不老不死とかそんな感じの本ばっかりだ)
そこに立ち並ぶ本たちは、ほとんどが再生とか、歳を取らない原理だとか、そんなことを背に書かれていた。たまにそれ以外の文字があると思えば、また四季病のことだった。どれだけミドはこの病に執着しているのだろうか。興味はない様子だったのに。
「ま、今はこの病気のことはいいんだ」
四季病に構っている暇は今はない。とにかくヨダは不老不死について書かれた本を片っ端から読んでいった。



「……何言ってるのか、ほとんどわかんない」
いざ読んでみたはいいが、大半の本がカタカナと記号で埋め尽くされていて、高校の始めぐらいまでしか化学の知識のないヨダにはさっぱり理解出来なかった。それでもぱらぱらと読み飛ばしながらわかる文章だけ拾っていった。しかししばらくそうしていると、ある時一冊の本が目に留まった。その本だけ日に焼けていて、かなり読み古されているようだった。ライネが身体を治してもらえるようここに駆け込んだという三年前よりももっと前から、読まれていたような傷みっぷりだ。これには何かある。そう直感したヨダは、本を開き導入部分を読む。彼の求めていた答えは、案外早くに見つかった。


『この世界には、たくさんの病が存在する。その中の大半が人体を傷付け、滅ぼすものだが、ごく少数だが逆に人体を回復させるものがある。例えば五十年程前に薬害で流行していた吸血鬼化症は、他人の血を飲まないと生きていけない代わりに不老不死の肉体を得るというものだ。この病に感染した者の中には感染前に罹っていた不治の持病が消失したという。つまりこの病は上手く利用すればあらゆる病に対する特効薬になるのではないだろうか?
血液を必要とする点だけを取り除き、不老不死の薬を作ることはもちろん、不死身にはなりたくないが病気は治したい、という場合には再生力を落とすことで不死性を得ずに病気を治すことも出来るだろう。また、これは難易度が高いだろうがすでに死亡した人間に感染させることで生き返りさえも可能になるのではないかと、私は思うのだ』


「……ライネ、そのものじゃないか」
そこに書かれていた内容。不老不死の肉体。病気のない理想の身体。ヨダが見知ったその姿を思い浮かべるのに時間はかからなかった。それと同時に、今までのことがするすると繋がり始める。
不治の病である四季病。それについて追求すると苦しむミド。どんな病でも、死人でさえも治す不老不死の薬。不死身のライネ。そしてヨダ自身の、生きた人間を認識出来ない瞳。
「……まさか」
ヨダの脳内にはある一つの結論が浮かんでいた。到底信じがたい、しかしそれ以外考えつかないもの。自分のこの目が、何よりの証拠だった。
「ライネは、生き返った死人なの……?」



気付くとヨダは二階への階段を駆け上がっていた。聞かなければ、ライネの口から直接。彼が死人だったから顔を見ることが出来ただなんて、そんなこと信じたくない。だけど聞かなければ、いつまでもありもしない顔を見る方法を探し続けなければならない。そんなことはごめんだ。ヨダは一度ライネの作業場に寄り誰もいないことを確認すると、勢い良く彼らの寝室の扉を開けた。
「……ヨダ?いきなりどうしたんだよ」
すぐに部屋を見渡すと、ベランダへ続くガラス戸の前にあるロッキングチェアの上でイヴが眠っているのが見えて、ヨダは安堵した。彼がライネのそばにいたのでは話がややこしくなる。それに、動かない彼はいざというときの切り札になるかもしれない。ヨダは後ろ手に隠した自分の左手を握りしめた。
「ねえライネ、聞きたいことがあるんだけど」
ベットの上でくつろぐライネに話を投げかける。聞きたいこと。ライネの、生き死にのこと。
「ん、どうした?」
ライネは何も知らずにいつも通り返事をする。それに少しヨダの胸は痛んだ。今から自分はきっと、この家の住人全員の闇に、土足で踏み込むのだから。
「キミって、一度死んだでしょう」
思ったよりするりと、聞きたいことは口から出た。ライネの顔色がみるみるうちに変わっていく。
「何、言ってんだよ。何の冗談……」
「四季病」
何とか誤魔化そうとしているライネを遮ってその言葉を言い放つ。彼の青い目がぐらぐらと揺らいだ。
「死んだんでしょ、その病気で。それをミドちゃんが治したんだ。不死身の薬でキミを生き返らせたんだよ。キミをそんな身体にした罪悪感で彼は忘れちゃってるみたいだけど」
「…………」
ライネは黙り込んでしまった。不用意に口を開くと何を言ってしまうかわからないから黙っている、という雰囲気だ。
「ねえ、当たってる?」
答え合わせをしてくれなくては困る。ヨダはそう尋ねるとライネの返事を待った。重たい沈黙と、この場に不釣り合いなくらい暖かな日差しが部屋を包んでいた。

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