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明るい、晴れた朝だった。ベッドの上で日差しを浴びながら、眠るみたいに。

「……よく、がんばったな」

ライネの髪に触れる。この間まではまだ黒い部分も残っていたというのに、今ではすっかり真っ白になってしまった。疲れただろうな、と労わるように頬を撫でる。まだ暖かい。本当は眠っているだけなんじゃないかとさえ思う。だけどその青い瞳は、もう二度開かれることはないのだ。

「……っ」

胸の中に穴が空いたみたいだ。涙と一緒に、何か大切なものまで流れ出ていってしまったようで。あいつは幸せだっただろうか。家族の元には逝けただろうか。そうだとしたら、この穴も少しは埋まるのだけれど。

 

 

 

それからしばらくぼんやりとライネの身体を見つめていたイヴだったが、不意にドアの開く音がして、我に返った。振り向くと、あれだけ呼んでも来なかったミドがそこに佇んでいた。汚れた白衣とずれた眼鏡が夕焼けを反射してオレンジに染まっている。彼も酷く憔悴しているようだった。

「……今更、何をしに来た」

つい、イヴの口から突き放すような言葉が出た。ライネがあれだけ会いたがっていたのに、ミドは顔を見せにすら来なかった。それがイヴには許せなかった。なのにどうして、今になって。

「何って、治しに来たんですよ、ライネくんを」

「……治す?」

何を言っているのかわからなかった。ミドにはライネが死んだとき、メッセージを送っていたから知っているはずなのだ。もう治療なんて出来ないことを。それともまだ読んでいないのだろうか。

「彼はまだ死んではないです。心臓が止まっただけです。薬、出来たんですよ。今これを打てば、治ります。大丈夫です」

ミドの手には、怪しげな液体の入った注射器が握られていた。本人の様子のおかしさも合いまって、イヴはその薬をライネに打たせてはいけない、と直感で悟った。それに何よりライネはもう、死んでしまったのだ。ミドはああいうけれど、今まで確かにあったライネの存在が、どこかへ消えてしまったのをイヴは感じ取っていたから。生き返ってくれるなら、それは言いようがないくらい嬉しいことだけれど、今まで散々な日々を送ってきた彼をいい加減楽にしてやりたかった。死んだ後まで身体を弄くられるなんて、そんなことをされてほしくない。ライネの身体に近づくミドを遮るように、イヴはベッドの前に立つ。

「現実を受け止めろ、ミド……ライネはもう、」

「死んでなんかない!!!」

イヴが言葉を紡ぐ前に、ミドが叫んだ。初めて目にする彼の激昂する姿にイヴは一瞬、怯んでしまった。その直後、ミドの注射器を持つ手とは逆の手が振り上げられたのを、イヴの赤い右目が最後に捉えた。

 

――――――バキッ

 

「…………うぁ、」

小気味良い音が、右目から響いた。視界の右側に一瞬ノイズが走り、そこが真っ暗になった。イヴは反射的に目蓋を閉じようとして、それが出来ないことに気付く。右目に何かが、突き刺さっている。

「邪魔、しないでください」

ミドは冷たい声で言い放つとイヴを壁際に追い詰める。イヴの顔に手を伸ばすと、右目に刺さった何かを抜き取った。鋭い、メスだった。

「僕はね、生きててほしいんですよ。ライネくんは、独りぼっちだった僕に声をかけてくれた。救ってくれた。だから今度は僕が、僕が助けなくちゃ……」

絞り出すようなミドの声。それを聞いてイヴは、ミドも苦しんでいたことに気付く。病気を治さなければというプレッシャーに、押し潰されて。辛くないはずがなかったのだ。ずっと一緒に暮らしてきた幼馴染が、死んでいくことになんか、耐えられるはずがない。

「だから、ね。君はもう、眠っててください」

もう世話は必要ないから、と言うように、ミドの手がイヴの首に伸びる。電源ボタンを押すつもりだ。駄目だ、今眠ってしまうわけにはいかないと、抵抗を試みたけれど、ライネの病状が悪化してからはメンテナンスなんてされていなかった身体は、思うように動かない。それに対してミドはどこからそんなものが出るのかというくらいの力で、イヴを押さえつけた。詰襟の中に、指が入り込む。ボタンに触れる。嫌だ。

「やめて、くれ、ミド……」

声を出すのが精一杯だった。手足はもうほとんど動かなくて。右目を刺されたときに、どこか重要な部品が傷付けられたのかもしれない。ああ、俺の身体はまた、ガラクタになった。

「……お疲れさまです、イヴくん」

ミドの指が離れていく。それと同時にイヴは床に崩れ落ちる。シャットダウンの準備を始めた身体は、もうどう足掻いても動くことはなくて。半分になった視界で、イヴはミドがベッドに近づくのを、見ていることしか出来なかった。嫌だ、ライネに触らないでくれ。それ以上引き止めるな、あいつを家族のところに行かせてやってくれ。畜生、俺が人間だったなら。こんなことで動けなくなったりしないのに。あいつを、助けられるのに。結局俺はどこに居たって、使えない機械のままなんだ…………。

 

 

 

 

 

「……ヴ……イヴ…………!」

声が、聴こえる。少し前に、消えてしまったはずの声が。俺は夢でも見ているのだろうか。人間でもない俺が。何でもいい。ライネは死んだんだ。せっかく気持ちを落ち着けようとしているのに、掘り返すのはやめてくれ。

「……なあ、起きてくれよ、イヴ!!」

おかしな夢に無視を決め込むつもりだったイヴだが、激しく身体を揺さぶられて、さすがに煩わしくなって目を開ける。目が覚めたら、きっと部屋には疲れ切ったミドとライネの身体しかいない。うんざりだと思いながら。それなのに。

「ああ、起きてくれた……イヴ、大丈夫か?」

目の前には、ライネがいた。動かない身体ではなくて、ちゃんと生きているライネが。

「……ライ、ネ?」

これは夢だろうか。目を覚ましたつもりだったのに、まだ起きていないのだろうか。混乱するイヴを見て、ライネは困ったように笑う。

「うん、ライネだよ。イヴに触れるし、目も見えるライネだよ。治ったんだ、オレ」

ライネの腕が、イヴの身体を抱き締めた。嬉しそうに、自分の存在を確かめるように。イヴも、ライネが確かにそこにいることを感じて、涙がこぼれそうになった。生きている。死んだはずの彼が。

「ライネ、本当に、生き返った、のか……?」

「そうだよ。家族には追い返されちまったみたいだ。ミドに、感謝しないとな」

自虐的ではあるけれど、嬉しそうに笑うライネにイヴも心を弾ませた。ライネがそこにいる。本当に嬉しくて、抱き締め返そうとした。けれど、イヴの四肢は動かない。

「……っ」

「イヴ?身体、動かないのか?」

右目が壊れていることから察したのか、ライネがすぐに尋ねてきた。強がる必要もないので素直に頷くと、心配そうに頬に触れられる。

「どっか動きを制御する回路がやられたんだろうな……すぐ直してやるから。ていうかなんでこんな酷い怪我したんだ?珍しい……」

ミドに刺されたんだ、とは言えなかった。生き返ったばかりの彼に、薬を打つ打たないで揉めてこんな有様になったなどと知らせるなんて、ミドが暴力を振るったと言うなんて、傷付けてしまうに違いなかったから。

「少しな。うっかりしていたんだ……」

あまり働かない頭で懸命に考えて口に出す。嘘ではないから多少は楽だった。

「そっか。疲れてたんだよな、お前も……」

「そうかもしれない。……ところで、ライネ」

「ん?」

「あまりよく見えないんだが……その、血は何だ」

目覚めた時から気になっていたのだが、本人も平気そうだしタイミングが掴めずになかなか言い出せなかった。ライネの首に、大量の血がべっとりと付いているのを。

「あーこれは、うん……言わなくちゃ、いけないよな……」

ライネは何故か言い淀む。しばらく考え込む様子を見せた後、ちょうど床に落ちていたメスを拾い上げた。ミドがイヴを刺した、あのメスだ。

「いいか、今からオレがすること、驚かないで見てて。大丈夫だから」

そう念を押して軽く深呼吸をすると、ライネはあろうことか手に持ったメスを血に汚れた首に押し当てた。一体何を、するつもりなのか。

「やめ――」

言い終わる前に、イヴの白い頬に、赤い血が飛んだ。そしてライネの身体が、イヴの上に倒れこむ。生暖かい感触がする。おびただしい量の血が、ライネの首から流れ出ていた。

「おいライネ、ライネ!!」

何が起こったのかわからない。ライネが死んで、生き返って、また死んだ。自分の首を切って。夢はまだ終わっていなかったのだろうか。本当はまだ、俺はミドに眠らされたままだったんじゃないかと、イヴは思った。すると。

「……だから、驚くなってば……」

目の前の身体から声がした。ライネの声。二度死んだはずの。

「ライネ……?」

「う、やっぱり痛いなあ……」

首を押さえながら、ライネが起き上がる。まるで何もなかったかのように。

「悪いイヴ、教えるにしてももうちょっと何か方法があったな。オレも……混乱してるみたいだ」

血を拭おうとしてイヴの頬に触れたライネは、彼が酷く発熱していることに気付いて詫びた。そして、首から手を離す。あろうことか、あれだけ血を流していた傷が、塞がりかけていた。

「……オレ、今度は死ねなくなったらしいんだ」

 

 

 

「えーっと、どこに置いたっけなあ。予備買ってたんだよ安い奴だけど」

寝室の隣の作業場で、ライネは引き出しをひっくり返してイヴの壊れた右目の代わりを探していた。

「別に片目くらいいつだって構わないぞ。それより今はお前の方が……」

回路を直してもらって、手足は動くようになったイヴが、遠慮がちに言った。相変わらずライネの首は血塗れのままだ。

「オレは平気だよ。痛いけどすぐ治るし。というかもう治った。目が見えないのは辛いからな、早く直してやりたいんだ」

「…………」

重みのある言葉に、イヴは言い返すことが出来なかった。ライネは、先ほどまでの自分と今のイヴを重ねているのだろう。

「お、あった」

引き出しから小さなプラスチックで出来た箱を取り出す。中にはガラスと機械で造られた目玉が二つ入っていた。イヴの左目とは対照的な、青い目玉が。

「あー、同じ色買っとけばよかったなあ。安物だから性能も左より落ちるけど今はこれで我慢してくれ」

「わかった」

この際我儘は言っていられない。ライネはイヴの電源を切ると、右の眼窩に青い目玉を接続して、もう一度電源を入れた。ゆっくりと目を開くイヴを見て、何だか嬉しそうに微笑む。

「……出来た。ふふ、オレとおそろいだな」

青空みたいな瞳と目が合う。そういえば、今入れた目とライネのそれは同じ色だ。少し複雑な気分になる。

「どうだ?目、ちゃんと見えるか?」

「ああ。多少違和感はあるが」

「よかった。お金に余裕出来たらちゃんと赤い目買うから、それまでどうしようかな……あ、眼鏡みたいなの造るよ。それくらいなら余ってるパーツで出来るし」

「頼む。……ああでも、しばらく新しい目は買わなくていい」

目を、元に戻したくはなかった。ライネと同じ色だからとかそういう意味ではなくて、自分への戒めに。ミドを止められなかった、罪の証のために。その代わり、今度電源ボタンを改造してもらうように頼んで、ライネ以外の人間が触れても眠らないようにしてもらおう。もうこんな、無力な思いをするのは嫌だから。

「そうか?お前がそう言うなら、いいけど」

ライネの特に詮索しようとしないところが、ありがたかった。これ以上目のことを話すのもなんなので、さっき起きた出来事について、話を戻す。

「……それで、お前のその身体は一体何なんだ。ミドは今、どこにいる?」

詳しく話す前にまずお前の修理だな、と言われて聞きそびれていた質問をする。

「薬の、副作用なんだって。オレの身体はこれからずっと、常に健康な状態に保たれるとかなんとか……つまり不死身ってやつらしい。ミドは、オレにその話をした後に倒れて……地下で寝てるよ」

ライネは自分でもよくわかっていないようだった。それもそうだ。死んで、生き返って、今度は死ねなくなった、なんて。即座に理解出来る人間がいるなら連れて来てほしいくらいだ。

「あんまり自分の状況がよくわからないんだけど、大変なことになったのはわかる。ミドも、考えてなかったことみたいだから」

「!? ミドも……?」

ミド自身も薬の効果を正確に知らなかったということだろうか。本当は、ライネをこんな身体にするつもりではなかったのかもしれない。

「……後でミドが起きたら、詳しく聞いてみるよ」

 

 

 

服を着替えて、地下に降りた。奥の部屋にミドは寝かされていて、ライネはその肩を揺さぶる。自然に起きるまで待っていようかと思ったけれど、早く話を聞きたくて仕方なかった。

「ん……」

わずかに身じろぎをして、ミドは目を覚ました。深い緑の瞳が、ライネを見る。

「ミド、おはよ。起き抜けで悪いんだけど、聞きたいことが……」

ミドは、何故かとても驚いた顔をしていた。寝ぼけているのか、ライネが元気になったことを忘れていたのか。少なくともライネとイヴはそう思っていた。ミドがライネの言葉を遮って、信じられないことを口にするまでは。

「君、どなたですか……?」

「――――え?」

何かの冗談だろう。だけれどミドはライネを見て、確かにそう言った。それから彼はだめ押しみたいに、イヴに話しかける。

「イヴくん、お客さんがいらしてたんですか?もっと早く起こしてくれないと。恥ずかしいところお見せしてしまいましたよ」

「ミド、お前何を言ってるんだ」

イヴも動揺を隠せない。ライネのことを来客だなんて言うなんて。どうしていいかわからなくて、気まずい空気が部屋に流れる。しかし、数秒してからイヴは、何かメッセージが自分に送られてきたことに気付いた。頭の中に文字が浮かぶ。前を見ると、ライネがポケットに手を入れていた。携帯電話からイヴに何か伝えているらしい。慌ててそのメッセージを開く。

『ミドはおれのことをわすれてる。てきとうにはなしをあわせてくれ』

忘れた?ミドが、あれだけ大事に想っていたライネのことを?本当に、信じられなかった。何かの間違いだと思いたかった。だが今のミドの様子を見ると、それは間違いないようで。嘘だろう、とミドに言いたかったがライネには考えがあるようだから、大人しくそれに従う。彼はほうと息を吐くと、恐る恐る口を開いた。

「寝てるところ、邪魔して悪かった……オレ、あんたの噂を聞いてここに来たんだ。すごく賢い科学者だって。頼む!オレの身体、元に戻してくれないか」

ライネのその発言にも、イヴは驚かずにはいられなかった。彼はミドに思い出させるようなことも言わず、まるっきり初対面だ、というような台詞を吐いたのだから。

「イヴくん、この方は……?」

ミドも状況が読めないらしく、イヴに説明を求めてくる。そんなことを聞かれたって、俺にもわからない。だけど答えなくては。ライネの意図を精一杯汲み取って、都合のいい言葉を組み立て、スピーカーに乗せる。

「……さっき押し掛けてきてな。なんでも、どういう訳か傷を負っても毒を飲んでも死ねない身体らしい。にわかには信じられないが……さっきからうちはなんでも屋じゃないと言っているんだが。どうする?ミド」

イヴのとってつけた話にもミドは何の違和感も感じていないようで、顎に手をあてて考え込む仕草を見せる。一体どうしたというんだ。

「うーん……とりあえずお話を聞かせてください。それから君の依頼を受けるかどうか、決めますね」

一瞬、ライネが瞳を曇らせたのをイヴは見た。ミドが本気で彼のことを忘れたのだと、確信したのだろう。

「そう……じゃあ、今からオレがすることを見てて。きっと話すよりそっちの方が早い」

諦めたように、ライネは話を続ける。だがその内容から彼がこれからしようとしていることを察したイヴは声を上げた。

「おい、」

「あ、そうだきみ、何か切るもの持ってきてくれないか。ナイフとか」

その声も遮って、ライネはイヴに尋ねた。ミド同様、初対面の人間相手にするみたいに。

『たのむよ』

「っ……!」

またメッセージ。それがなければイヴはきっとライネの言うことに従わないでいたに違いない。ライネがもう一度自傷をするところなんて見たくない。なのに、そんな言葉を投げつけられてはイヴは逆らえない。そんな懇願するような命令には、逆らえない。

「……待ってろ」

イヴは何も出来なかった。せめて出来るだけ痛くないように、切れ味の良い刃物はどれだったかと探すことくらいしか。

 

 

 

「っ、げほっ、はぁ……っ」

ぼたぼたと、ライネの唇からどす黒い血が落ちていく。イヴの持ってきた果物ナイフで散々身体を傷付けた後、彼は自ら毒薬を飲んだ。イヴが刃物を探しに行っている間にミドに頼んで持ってきてもらっていたらしい。それでも、彼は死なない。酷く苦しむライネの姿を、イヴは見ていられなかった。やっと病から解放されたというのに、どうして、こんな。

「すごい、こんなの見たことないです……」

目を背けるイヴの隣でミドが感嘆の声を漏らした。その姿を見たイヴは愕然とする。お前は一体誰だ?そんな風に、幼馴染を嬉々として見つめるミドなんて、俺は知らない。必死でライネの身体を治そうとしていたミドは、何処へ行ってしまったんだ……?

「君はいつから、どうしてこんな身体に?」

ミドに尋ねられ、ライネはもごもごと口を動かす。喋ることを考えながら話しているのだろう。

「なったのは、つい最近。どうしてかは、オレにもよくわからない。ただ、いつまでも歳も取らずに死ねないのは、怖くて。だから……」

「そうですか……いいですよ、僕に出来ることなら、お手伝いします」

「ほんとか!?ありがとう!!」

がっしりと、ライネがミドの手を握る。泣きそうな顔をしているのは決して承諾してもらえたからではないだろう。

「えっと、それじゃあ……今日からどうしましょうか。君は、どこから来ましたか?ここから通える距離だったらいいんですけど……」

身体を元に戻す研究はきっと長くなる。一日や二日で終わるものではないから、ミドはそう尋ねたのだけれど、今のライネには相当酷な質問だったに違いない。まさかここがライネの家だなんて、お前に誘われて一緒に暮らしているなんて、言えないのだから。

「えっと、その……」

青い顔をして、ライネは口ごもる。まずい、このままではライネが自分の家から出なければならなくなる。そう思ったイヴは咄嗟に口を開いた。

「住み込みでいいんじゃないか。部屋も空いてるし、その方が……観察なんかもしやすいだろう」

思いつく最善の方法を提案する。でかしたイヴ、と言わんばかりにライネがそれに食いつく。

「あ、うん。オレの家すごく遠いから、厚かましいけどそうしてもらえるとありがたいな……機械得意だから彼のメンテもするし、バイトして家計にも貢献しますよ!」

「あはは、それもいいですね。じゃあそういうことにしましょう。今日はお疲れでしょうし、これからのことは明日にでも話しましょうかね」

「うん、ありがとう」

話に区切りがついたようなので、ぐい、とイヴはライネの手を引いた。

「休むなら、二階に行こう。部屋の案内もしてやる」

今はただ、二人で話がしたかった。それはライネも同じようで、こくりと頷くとじゃあお願いしようかな、と言った。

「それじゃあ、また後で」

「ええ。よろしくお願いします」

そうしてイヴに手を引かれながら、ライネは階段を登った。彼の震える手を、イヴは強く握ってやることしか出来なかった。

 

 

 

「…………」

二階の寝室で、二人はそれぞれのベッドに向かい合って腰掛けた。だけどそれから何も話す気になれず、お互い黙っていた。どうしてミドはライネのことだけ忘れたのか、これから一体どうなってしまうのか。そんなことばかり思い浮かぶけれど、かける言葉が見つからない。

「なんで」

数分後、沈黙を破ったのはライネだった。小さな声で、だけど叫ぶように。

「なんで、なんで忘れるんだよぉ……」

両手で顔を覆って、震える声で悲鳴を上げた。イヴは咄嗟にベッドから立ち上がり、ライネの隣に座る。すぐそばにいないと、彼がどうにかなってしまいそうだったから。

「オレをこんな身体にしたのはミドなのに、あんな目で見ないでほしかった。忘れられるために、生き返ったんじゃない……!」

死ぬ前でさえ見せなかった感情を露わにして、ライネは泣いていた。ライネにとってミドは本当に大切な存在だったのに、ミドだって、ライネのために今まで努力していたのに、壊れてしまった。何もかも。

(俺のせいだ)

縋り付くライネの背中を撫でながら、イヴはそう自分を責めた。俺がミドを止められなかったから。あのまま死なせてあげられれば、こんな思いをさせずにすんだのに。俺が、役立たずなせいで。

「見ただろイヴ、オレ、あそこまでしても死なないんだ。……このままじゃオレ、いつかひとりぼっちになる。ハイネには会えなくて、ミドにも忘れられて。知ってる人はみんな死んでく。オレが普通の人間だったことも、誰も知らない。嫌だよ、もう、ひとりになるのは嫌だ……」

「……!」

ライネのその言葉に、イヴははっとした。そうだ、もう誰もいないのだ。ライネが一度死んだこと、こんな身体になった経緯を知っているのは、イヴ以外誰も。死ねなくなった彼のそばに長くいられるのも、機械である自分だけだ。

「俺がいる」

「イヴ……?」

「約束したじゃないか。ずっとそばにいると。お前がいつまで生きたって、俺にはそれが守れる。だから、お前はひとりにはならない」

人間よりは長く動けるといったってアンドロイドもいつかは壊れる。気休めみたいな台詞だったけれど、イヴは本気だった。ライネにもそれがわかっていたが、イヴの必死な目を見ていると本当に大丈夫な気がして、ぎこちなく微笑んだ。

「そう、だな。ありがとう、イヴ」

俺が、守らないと。そばにいないと。ライネが壊れないように、壊されないように。守る。護る。まもル。俺が、俺しかいないのだから――――

 

 

 

 

 

『隣街に巨大ビル建設か――行ってみたいなあ』

「お前人混みは嫌いだろう」

電話口で爛々と話すライネに対して、イヴは刀の準備をしながら淡々と返事をした。街に殺人鬼が現れたと聞いてから手にするようになったものだ。きっと今日も出番が来る。嫌なことだ。

あれから三年。ライネは不死の身体に慣れてきたし、イヴ自身もまだまだ健在だ。ミドの研究は未だに進展を見せないし記憶も戻っていないけれど、ほとんど昔のように親しくなることが出来た。殺人鬼に絡まれるようになったのはとても厄介だが少しずつ、ライネが倒れる前に戻ってきている。

 

『いっ……!!お前、また……』

がたがたと、突然電話の向こうで物音がした。何が起こったのかイヴにはすぐにわかったが、一応尋ねる。

「おいライネ、どうした?」

『悪いなイヴ……またあいつに絡まれた。来てくれないか』

「愚図。だから一人で出歩くなと言ったんだ……待ってろ」

刀を腰に差して、イヴは立ち上がった。例によってあの殺人鬼に絡まれているであろうライネを助けるべく。本当は一緒について行くなりして事前に防いでやりたいのだが、ライネがそこまでしなくていいと言うのだ。きっと自分がイヴを縛り付けているのだと責任を感じているからだ。イヴはそんなこと、思ったことがないのに。

「殴られたって、どうせ死なないし平気だよ」

その時に言われた言葉。イヴを心配させないために言ったのだろうけれど、その言葉は彼を余計に悲しい気持ちにさせた。あんな自虐紛いの台詞を、俺なんかのために言わなくていいんだ。

「あれイヴくん、どちらに?」

リビングを通って家を出ようとすると、ちょうど休憩中だったミドに声をかけられた。

「ライネを迎えに行く」

イヴの急いでいる様子とすっかり定型文になっている返事に、ミドも事態を察して気を付けてくださいね、とだけ言った。振り向かずに手を上げて返事をし、玄関で随分履き古したローファーに足を突っ込む。そして、足早に外へ飛び出した。

 

 

 

あの日イヴは誓った。あの少年を守ると。ずっとそばにいると。そのためなら、何だってしてやる。それが自分に出来る恩返しで、罪滅ぼしだ。

 

 

 

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