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※本編(4話現在)よりも未来の話。隠し事に気付いているミドと全部知ってるヨダ。

 

 

 

 

今は何時だろうか、さっき時計を見たときは午前の四時半だったか。ほんの少し明るくなった景色は、青みがかってひんやりとした空気を運んでくる。気持ちがいい。茶髪の青年、ミドは目の前の欄干に手を置いた。足下を見ると、深い群青の波が丁寧に積み上げられた石壁にぶつかっている。街の片隅、彼の家からは少し離れた場所には海を臨める丘があった。ミドのお気に入りの場所だ。波の音、星の煌めきが嫌なことを忘れさせてくれる。時間のせいもあるが、ここは元々人気があまりないのもいい。彼にはたまに独りになりたい時があった。優しい同居人たちは大好きだけれど、時折何故か距離を感じてしまうことがあって。イヴとライネは兄弟みたいに仲がいいのに、自分にはそれが感じられない。どうしてだろうと、その距離を埋めようとすると、頭が痛くなる。やめろと、胸の奥が訴えてくる。最近は特にそれが酷くなっているような気がする。だから今日は泊まりがけで大学の手伝いがあると嘘を吐いて、気分を落ち着けるためにここに来た。本当はもう用事なんて日帰りで終わっているのに。ぽつりと罪悪感を感じて、先ほど自販機で買った缶コーヒーを口にする。外気に晒されたそれは少しぬるくなっていて。やっぱりイヴくんが淹れてくれたものの方がおいしいな、と思う。

(帰ろうかな……)

不意に寂しくなって、そんな考えがよぎる。だけど今はライネはおろかイヴも眠っている時間だ。起こしてしまっては悪い。せめてあと一時間は潰さないと。そう思っていると、後ろからとことこと足音が聞こえた。誰かいるのだろうか、こんな時間に。振り向くと、飛行士が被るみたいに耳あてのついたニットの帽子と暖かそうなポンチョを羽織った少年が立っていた。向こうもこちらに気が付いているらしく、立ち止まってミドのことを凝視している。どうしたのかな、と気になりながらも見ていると、今度はこちらへ向かって再び足を進めだした。目の悪い人がものをよく見ようとするみたいに、眉間に皺を作って、目を細めながら。そして少年はミドのそばまで来ると、彼の顔を見つめて何か言い淀んでいるようだった。そこでようやくああそうかと気付く。今日の自分は外にいるから、白衣を着ていない。

「……僕ですよ、ヨダくん」

そう声を聞かせて名前を呼ぶと、少年、ヨダはほっと安心したような顔をして、眉間の皺を消した。代わりにぱあっ、と明るい笑顔が浮かぶ。

「ああよかった、人違いだったらどうしようかと……ミドちゃんって白衣着てないと誰だかわかんないよ」

「僕そんなに白衣着てますかねえ」

「着てるよ。少なくともボクに会うときはいつも」

「そうですっけ……ヨダくんも今日はあんまり見ない格好ですね。暖かそう」

耳あてのない帽子とオーバーオール姿ではない彼はなかなか珍しい。それを言葉にするとヨダはよく言ってくれた、と言うように歯を見せる。今はとても機嫌がいいようだ。

「あったかいよ!最近買ったんだけどね、耳痛くなんないしかわいいでしょ」

両腕を広げてポンチョの裾をひらひらさせながら、嬉しそうに話す。

「ところでミドちゃん、なんでこんな時間にこんなところにいるの?」

「仕事帰りですよ。本当はもっと早く帰れたんですけど、この時間に海が見たくて」

「へえ、キミにもそういうのがあるんだね」

「ええ。ヨダくんはどうして?」

「あんまり眠れなかったからさ、散歩してたんだ。ついでに海でも見ようと思ったら、ミドちゃんがいたから」

「気が合いますね」

「そうだね」

ヨダが欄干に組んだ腕を乗せる。身長がミドより低い分少し無理のある体勢になったけれど。

「でも暗い時間に外に出ると危ないですよ。僕が言えたことじゃないですけど」

「あはは、それボクに言っちゃう?危ない目に遭うより遭わせるタイプなのに」

「君だって、僕から見れば普通の男の子ですよ。怪我をしたり、するじゃないですか」

自分を恐ろしく言うヨダにそう言い返すと、きょとんとした顔をして、それからまた笑った。

「……そう、そうかもね。そうだったらいいんだけれど」

「そうですよ」

「……でもね、この時間がボク好きなんだ。誰もいなくて、余計な音も聞こえなくて……嫌な顔を見なくて済む。あ、ミドちゃんの顔を見るのは嫌じゃないよ。もやもやして見える人の中でもキミは特別」

「それは……ありがとうございます」

さらりと流れるように大事なことを言われて、なんだか照れ臭くなってもう一度缶コーヒーに口を付ける。

「それに、お母さんが生きてた頃は、こんな時間に起きてることもなかったし。……いや起きてはいたんだ。布団から出られなかっただけで」

夜更かしなんてしたら引っ叩かれちゃうもの。くすくすと笑う彼は遠い思い出でも話すみたいで。決して良くはない記憶のはずなのに。

「初めて見た朝日は綺麗だったなあ。カメラがほしかったよ」

ヨダは両手の親指と人差し指で長方形を作ると、腕を伸ばして水平線を撮る真似事をした。

「だからボク、夜明け前が好き。お母さんの影を見ることもないし、だーれもいない。たまに車とか通るとぞっとするけどね」

「一人になるには、一番いい時間ですよね。僕も好きです」

まるで世界にひとりきりになったようで。どこか包容力のある青い闇はいつもとは違う気持ちにさせてくれる。

「うん。でもミドちゃん、普段お仕事に行く以外ほとんど引きこもりなのに家にまっすぐ帰らないなんて、何かあったの?」

「僕そこまで引きこもりですかね……」

「うん。だからこんなとこで会うなんて驚き」

「そうですか……いやね、ときどき家に帰るのが億劫になるというか、怖くなるときがあるんですよ」

「怖い? どうして」

「僕にもわからないんです。イヴくんもライネくんも変わらず優しいし、不自由なんてないはずなのに。彼らを見ていると、何故か……」

「疎外感でも、感じる?」

「!」

すとんと、つかえていたものが取れた気分だった。そうだ、自分が二人に感じていたものは。

「そう、そうです。寂しいんです。あの二人に壁みたいなものを感じて。僕だけそこに入れなくて。いつからだったかはわかりません。気付いたら、外にいたんです。昔は、もっと前は、僕もそこに居たような気がする、のに……ぁ……」

酷い頭痛がする。思わず中身の入ったままの缶を落としてしまいそうになったけれど、その前にヨダがミドの手からそっと取り上げた。

「落ち着いて。無理に思い出さなくていいんだよ。あの子たちは、いじわるをしてるわけじゃない、キミもわかってるでしょ?」

「ええ、ええ……だから余計に苦しいんです。彼らは僕に何かを隠してる。それもきっと僕のために。それがわかってるから、だから……」

「自分のためにライネとイヴくんが隠し事をしなくちゃいけない、ってことが辛いんだよね」

缶を持っていない方の手で、ヨダが背中をさすってくれた。頭痛は激しさを増すばかりで、ミドは与えられる言葉にこくこくと頷くことしか出来なかった。

 

 

 

「……落ち着いた?」

「なんとか……すいません。巻き込んでしまって」

日が昇る頃、ようやくミドの頭痛は収まった。四つも年下の少年の前で取り乱して宥められるなんて、少し情けない気分だ。

「いいよ、ボクが振ったんだし。ボクだってそうだったんだからお互い様だよ」

「ありがとうございます……僕もいい加減、なんとかしないといけないですね」

「そうだね、話聞いてたらミドちゃん、結構自分でわかってる感じじゃない。きっと大丈夫だよ」

ぽん、と肩を叩かれた。この少年といると、海を眺めているよりも気分が晴れる。会えてよかったとミドは思う。

「もし、どうしてもそれがキミの中で解決しなかったら、本当に辛かったら、ボクに言って。ボクが、楽にしてあげるから」

「……それって僕が死んじゃうような解決法ですか」

楽にするというベタな言葉をヨダが口にすると、失礼だが物騒な意味にしかとれない。

「あはは、そんなことしないよ。相談に乗ってあげるってこと。キミの顔が見たいのは確かだけど、声が聴けなくなるのは嫌だもの。……でもそうだね、キミが死にたいって言うなら、殺してあげてもいいよ。殴ると醜くなるから、首を絞めてね」

ヨダの左手がゆっくりとミドの首に伸びて、喉の真ん中に親指が触れる。軽い圧迫感。

「……窒息死は、苦しそうですね。それにまた君に人殺しをさせるのは嫌です」

「でしょ? だからそんなこと言わないでね。……この先、何があっても」

虚ろな青緑の瞳は、何もかもを見透かしているようだった。ミドが苦しむ原因も、それを取り除く方法も全て知っているようで。なのにあえて自分からそれをミドにあげようとはしない。どうしてなのかはわからないけれど、簡単に受け取ってはいけないものなのだろう。ミドが自分自身で、出来るだけのことをしない限りは。

「そうですね……がんばります。あ、ごめんなさい、もうこんな時間ですね……そうだヨダくん、今日うちに来ませんか?お礼がしたいんです」

「え、行く! 行きたい! でもイヴくんが怒らないかなあ」

「大丈夫ですよ僕が説得しますから。彼結構押しに弱いんですよ」

「なーんか悩んでる割に扱いとか心得てるんだね……で、お礼って? 別にそんなの気にしなくていいのに」

「いやあ、そういうわけにはいかないですよ。ご飯でも食べてってください」

「わーやった! いただきます」

「最近ね、シチューが作れるようになったんですよ、僕」

「へ」

ご飯、と聞いて浮かれていたヨダが、ミドのその台詞に硬直する。

「ちょ、ちょっと待ってミドちゃんが作るの?」

「そうですよ?」

「え、ええ、だ、大丈夫なの? ミドちゃんが作るのってクリームシチューだよね? ちゃんと白いよね?」

「白いですよ失礼ですね……」

「ご、ごめん。でもキミが前作ったのはビーフシチューの色したクリームシチューだったもん」

ミドと出会ってすぐの頃作ってもらったあれは本当にひどかった。ライネが死ぬレベルなんじゃないかと思うくらい。

「あれは忘れてください! イヴくんに教えてもらってライネくんに味見してもらったから、もう大丈夫です! ……多分」

「自分でも不安なんじゃない! あーボクやっぱりキミを殺せないよ。殺す前にキミのご飯を食べたボクが死ぬ。死んだらさみしくないようにミドちゃん家の床下に埋めてね」

「死にませんし埋めませんよ! 怖いこと言わないでください」

「あはは、冗談だよ。おいしいご飯、作ってね。じゃないとお礼にならないよ?」

「が、がんばります……」

 

 

そんな他愛のないやり取りをしながら、ミドは夜明け前を抜け出した海に背を向けた。その隣にヨダがついてくる。朝日はもう、怖くない。

 

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