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過去を隠すイヴとほっとけない病のユウの話。

 

 

 

 

「……それでお嬢様が旦那様と喧嘩をしてしまってな」
「そうか」
「もう止めるのが大変で……お嬢様は部屋に篭ってしまうし」
「ほう」
「旦那様もその後すごく凹んでいたし」
「…………」
「なあレイ」
「何だ」
「ちゃんと聞いてるか」
「……あまり」
長々と屋敷での愚痴を話す私をよそに、レイは自分の青い眼帯を分解していた。どこか調子が悪いらしく、ばらばらになったパーツを前にして彼はしかめっ面をしていた。
「はあ、まあ私の愚痴なんか聞きたくないかもしれないが……」
「そりゃあな」
「相変わらず辛辣だなお前は……」
私だって本当はレイに愚痴りたくなんてない。だけど他に相手がいないのだ。屋敷には人間しかいないし、みんな私よりも立場が上だ。新人のアンドロイドなんかが文句を言うなんておこがましい。だから、仕方なく、だ。
「あー、他にアンドロイドの友人がいたらな」
「あの屋敷、お前以外に雇ったりしないのか?二、三体は平気だろう」
「元々は私も買われる予定じゃなかったくらいだからな……お嬢様があまりにも弱っていたから買っただけのようだから、これ以上増えることはないだろう」
「なるほど」
私の気苦労も無関心だと言うように短く返すと、レイはまた眼帯に向き合った。先ほどから作業はあまり進んでいないようだ。決して私が話しかけているせいではない。
「なあ」
「何だ」
レイの声に苛立ちが混じる。
「どうしてライネさんに直してもらわないんだ」
そう尋ねると、最高に不機嫌そうな顔で睨み付けられた。ライネの話をするな、と言いたげだ。喧嘩でもしたのだろうか。
「……ライネは、疲れてるんだ」
「ほう。どうして」
「仕事で依頼人と少しいざこざがあったらしい。機械にあまり理解のない人らしくてな。ライネの処置に納得いかなかったそうだ」
「理解がないなら口出ししないでほしいな」
ライネさんの腕は本物だ。処置された機械本人が言っているのだから間違いない。
「挙句の果てにはお前のような若い奴の言うことなんか信用出来るか、とまで言われたらしい。家族の人がなだめてくれてその場は収まったらしいが……」
レイが手に持っているドライバーがみしりと音を立てた。これは相当、怒っている。どうやらライネさんと喧嘩をしたとかではなく、ライネさんが傷付けられたことに腹を立てているらしい。
「……ライネは好きで若いままでいるんじゃない」
「え?」
レイが何かを呟いたけれど、聞き取れなかった。聞き返すと何でもない、とはぐらかされる。
「おまけにその帰りにはあの殺人鬼に出くわして殴られるし……あいつの運の悪さは神がかってる」
「ん? ライネさん、殴られたのか? さっき会ったときはそんな様子なかったぞ」
殴られた経験のある身としてはあんなもので人間が殴られればただですまないと思うのだが。そう尋ねると、レイは目を見開いた。何かとんでもない失敗をした、というような顔だ。
「いや、間違えた。出くわして、殴られる前に俺が助けたんだ。くそ、今日はおかしい。忘れてくれ」
狼狽する彼は今まで見たことのない姿で、レイでもそんな間違いをするんだなと、私は情けない親近感を抱いていた。そのときは、レイが本当に間違えたのだと思っていたから。彼がどうしてそんな些細な間違いで動揺するのか、私はわからないでいた。
「それで疲れているライネさんを刺激しないように自分で眼帯を修理していると……でもレイ、お前も疲れてるんじゃないか?」
間違いをするのも、疲労で正常な判断が出来なくなっているからだ。きっとそうに違いない。
「俺が疲れてる? そんな馬鹿な」
「いやお前、その様子だとライネさんの愚痴は聞いて自分は溜め込んでるんだろう。アンドロイドだって精神的ストレスは溜まるんだぞ。私がそうだから間違いない」
心があるというのは存外面倒くさい。ストレスが溜まるとバグが起きたりして行動にミスが出る。私たちは結構繊細なのだ。レイもそうなのかは、知らないけれど。
「お前と一緒にするな。それに俺は今の生活に不満なんかない」
そうだろうな、と私は思う。ライネさんやミドさんと一緒にいる時のレイは幸せそうだ。辛辣な言葉をぶつけることもないし、私に対してもそれぐらい優しくしてほしいものである。まあ彼らは私たちが何より大切にしている人間で、私はアンドロイドだという違いのせいでもあるのだろうが。
「不満はなくても、何か悩みとか」
「悩み、な」
私がそう尋ねると、レイの表情が一瞬曇った。彼は正直だ。性能の差のせいか、私よりも嘘を吐くのが苦手だ。思ったことをすぐ口にしてしまうのも、そのせいなのかもしれない。
「あるんだな。どれお兄さんに相談してみなさい」
「お前の方が遥かに年下だろうが」
「そういうことじゃなくて……」
真面目で冗談がきかないところも、性能のせいだと思いたい。気楽に話してみろ、と言うと明らかに嫌そうな顔をする。
「断る」
「どうして」
「話したところで、何も変わらないからだ」
突き放すような言い方。レイはまるで自分から私との間に溝を掘っているようだった。
「そんなことないだろ。話すだけでも楽になるかも」
思わず食い下がる。そういう扱いをされるとむきになってしまうのは私の性質だった。
「それが出来れば、苦労しないんだ」
はあ、とレイは露骨にため息を吐いて、まだ直っていないはずの眼帯を元の形に組み直し始めた。私はといえば、レイの言った言葉の意味を考えていた。何が出来ないんだ。話して楽になることがか?それとも、その悩みを話すこと自体が、お前には出来ないのか。
「それは、どういう意味だ……」
「さあな」
眼帯を組み終えたレイが、椅子から腰を上げる。
「おいそれ、どうするんだ。まだ直ってないだろう」
「……ライネに直してもらう。やはり俺ではどうにもならん」
そう言って、私から逃げるようにレイはリビングから出ていってしまった。
「一応、私は客人だぞ……」
一人取り残され、思わず呟く。憤るべきなのかもしれないが、私はレイの悩みについて考えるのに夢中で、それ以上は言わなかった。あのいつも冷静で、悩みなんて刀で叩き斬ってしまいそうなアンドロイドを悩ませていることとは一体何なのか。どうして話してくれないのか。気になって屋敷に帰れないではないか!

……などと、馬鹿な私は彼が抱えているものの重さも、彼の苦しみも知らないまま、何としても聞き出してやろう、と意気込んだのだった。

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