「ライネ、ライネ、起きろ」
「んー……もう、朝……?」
イヴの声がして、直後にがたがたと身体を揺さぶられる。日常茶飯事のことだけど、なんだか今日はいつもより乱暴じゃないですかイヴちゃん。気持ち良く眠っていたいのに。それでオレは少し起きるのを渋っていると、頬に手を押し付けられた。別にそれだけなら平気だったんだけれど、その手が酷く冷たかったのでオレは飛び起きてしまった。いやイヴの手はいつも冷たいけど、今日は氷みたいに冷たい。
「ひっ!イヴ、何その手何かあったのか!?」
イヴの身体に異常があったら大変だ。そう思って彼の両手を自分の手で暖める。するとイヴは少し恥ずかしそうに片手を解いて、オレのベッドのすぐ隣、ベランダを指差した。
「俺は何ともない。ちょっと、そこで遊んでたんだ」
「遊んでた……?」
真面目なお前が珍しい。そう思ってベランダを見ると、ああなるほど、と納得した。同時にオレの心も弾む。
「雪!積もったんだ。何年ぶりだろ」
ガラスの向こう側の景色は真っ白に染まっていて。思わずオレはベッドから降りてガラス戸に手をついた。ひんやりとした感覚が手のひらを伝わって、指の周りが白く曇る。欄干の上に雪が積もっているのが見えた。
「何か羽織るものあったっけ」
「カーディガンなら」
「それでもいいや。ちょっとだけ出よう」
薄着でもどうせ風邪は引かないし。イヴの前だからそれは言わないけど、パジャマの上にカーディガンを羽織ってガラス戸を開けた。いつもなら寒いからと止めるはずのイヴも黙ってついてくる。顔には出さないけど相当はしゃいでいるらしい。そういえば彼がここに来てから一度も雪が積もったことはなかったから、今日初めて見ることになるのか。そう思うと、はしゃぐのも無理ないかなあ。何回か見たことがあるオレだって今テンションが上がっているくらいだから。
「うわ~さすがに寒いな」
普段より一層冷たい空気が肌に触れて、無意識のうちに身体が震える。それを我慢して欄干を見ると、二センチほど積もった雪が一部分なくなっていた。指のような跡がついているから、イヴが触ったところだろう。
「何か作ってたの?」
「まあ、少し」
聞かないでくれと言わんばかりに目を逸らされる。別にそれくらい恥ずかしがらなくていいのに。まあイヴが雪だるまの類を作ってるところは、ちょっと想像出来ないけど。
「あ、あった」
そんなことを思っていたら、見つけてしまった。オレの足元、排水溝の上にちょこんと、手のひらサイズの雪だるまが乗せられていた。何だか形がいびつな上に木の実で赤い目がつけられていたけれど、片方外れてしまっている。
「お前こういうところは不器用なのな……ていうか排水溝の上って。溶けたら墓場直行、みたいな……」
「ゆ、床が濡れずに済むからいいだろ」
らしくないことをしていても後のことを考えているあたり、お前らしいというか。微笑ましい気分になりながら、オレも欄干の雪を掬って、丸めてみる。
「綺麗に丸めるのってなかなか難しいよなあ」
「だろ」
大小の球を作ってくっ付けて、イヴの雪だるまが落とした目を借りて鼻にしてみる。トナカイみたいだな、と思いながら出来たそれをイヴの雪だるまの隣に置いた。
「携帯持ってくればよかったな。イヴ、写真撮って撮って。オレの携帯に送って」
「すぐそこなんだから取りに行けばいいじゃないか」
「やっと寒いのに慣れてきたんだ」
「……まあ構わんが」
やっぱり今日のイヴはいつもより甘い。排水溝の前にしゃがむと、瞬きをしてぱしゃりと写真を撮ってくれた。
「……こう並べると、俺の汚さが目立つな……」
「いいじゃん、これはこれでかわいいよ」
「フォローにならないな」
そう言うとイヴはちょっといじけたみたいに欄干の向こうを見た。道路では分厚い雪がところどころで山を作っていた。イヴは何も言わずにそれを見つめている。きっと遊びに行きたいと思ってるんだろうなあ。だから、声をかけてみた。
「朝ご飯食べたら、外行く?今日くらい家事ほっぽったっていいよ」
そうしたら打って変わってぱあっと目を輝かせるものだから、オレはつい笑ってしまった。
「そうだ、コート買ったから着てよ。オレからの誕生祝い」
イヴが焼いてくれたベーコンエッグを食べながら、ふと思い出して言った。こないだはイヴの誕生日で(正確にはイヴがうちに来た日で生まれた日ではないけれど)、何かあげたいと思ってオレは紺のトレンチコートを買った。見た目はあったかそうだけど通気性抜群で排熱がちゃんと出来るアンドロイド用の上着だ。
「誕生祝いなら本をもらっただろ」
確かにオレは当日にも文庫本をプレゼントしていた。イヴの好きな作家さんの本。だけどそれだけじゃちょっと物足りなくて、その後コートを買ったんだ。だって、これがないとイヴは外に出られないんだし。
「いいじゃん、オレがあげたいんだから。それにお前今の季節熱暴走せずに済むような薄着で外に出たら目立つじゃないか。見られるの苦手だろ」
「それは、まあ」
「部品と一緒で、お前に必要なものだよ。嗜好品じゃないんだから気にするな」
イヴは自分のためにお金が使われるのを嫌う。オレたちは富豪じゃないし、元々普通のアンドロイドと同じように必要とされてこの家に買われたわけじゃないから、引け目を感じているんだろう。本当は誕生日以外にも本や服を買ってあげたいから、少しずつそういうのをなくしてあげたい。お前はオレの家族なんだから、遠慮なんかしなくていいんだよって。
「……ありがとう」
するとイヴは照れ臭そうに小さい声で、そう答えてくれた。
「お前何でも様になるからずるいよなー」
外に出て、コートを着たイヴを見てみるとすらっとした体型と整った顔にぴったりで恰好いい。うん、オレの見立てに間違いはなかった。
「ずるいも何も、そういう顔に造ったのはお前じゃないか」
「はは、まあそうだけど」
喋りながら道路に積もった雪を踏む。ざく、と足が沈み込む感触が面白い。
「思ったより積もってる。これ電車とか止まってるかも。ミド帰って来れるかな」
ミドはここ五日ほど海外に出ている。施設にいた頃から親しかった学者さんに学会に誘われたとか。今日の昼には帰ってくる予定だったけれど、この雪ではどうだろう。
「こっちの路線は支障ないようだが、空港側の電車は止まってるみたいだな」
オレと同じように雪を踏みながらイヴが言った。検索してくれたらしい。
「あっちも降ってるのか。じゃあ大分かかりそうだな……」
「だな」
話しついでにオレは雪を拾って丸める。雪だるまを作る時より力を込めないようにして握ると、花壇や塀に積もった雪を眺めるイヴを呼んだ。
「イヴ!」
「何……うわ、」
オレの投げた雪玉は見事イヴの肩に着地した。ばらばらに散らばって、元の雪に戻る。
「やったな」
イヴも雪を拾う。
「あんまり固めたらだめだぞ痛いから」
「ああ。……そういえば、確実に殺傷したければ石を入れるとか聞くな」
「殺傷って」
「出来た」
イヴの若干間違った知識に突っ込みを入れているうちに雪玉が出来たらしい。なんだか張り切った様子だ。
「よし来い。ゆっくり投げろよゆっくり」
イヴが振りかぶって雪玉を投げる。今からぶつけられるのにフォームが完璧で綺麗だなーなんて思うあたりオレは兄馬鹿かもしれない。イヴの手を離れた雪玉は、ふわりと弧を描いて、それでも確実にオレの額めがけて落ちて来た。腕でそれを防ぐと、砕けた雪が降って来て冷たかった。
「うわー、イヴお前、野球の才能があるかもしれない」
ネットで技術を落とせるアンドロイドに才能がとか言っても仕方ないかもしれないけれど、そう思った。だってオレはイヴにボールの投げ方なんて教えてない。
「……あ、」
そんなことを思いながら雪を払ってイヴの方を見ると、オレは思わず固まってしまった。
「ふふ、楽しいな」
すでに次の雪玉を握り始めているイヴはとっても嬉しそうに笑っていて。オレは今まで初めて見るその表情に驚いていた。ただでさえ感情の起伏が少ない奴なのに、あんなに。そういえば、イヴとこんな風に遊んだことってなかったかもしれない。イヴが家に来てそんなに経たないうちに、オレは病気で倒れてしまったから。
「イヴ」
「ん?」
「ミドが帰って来たら、三人でどっか出かけようよ。雪は溶けてるかもしれないけど」
家事ばかりでほとんど家から出られないイヴに、外を見せてあげたい、と思った。外に出て、たくさん遊ぼう。それくらいきっと許されるはずだ。
思えば物憂げな顔ばかりさせてしまっていた。看病の時もそうだし、今までだってそうだ。オレは生き返ったのはいいけれど、こんな身体になってしまって。オレが死んでいた間のことをイヴは話さないけれど、何があったのかはなんとなくわかっている。イヴの右目が壊れたこと、その目を未だに直そうとしないこと。責任を感じてるんだ。オレがこうなったのは自分のせいだって。物憂げな顔はオレが死ぬ前よりもよくしている気がする。ユウという友達が出来てからは少し元気になってくれたけど、やっぱり暗い表情は消えなくて。だからこんな風に笑ってくれたら、すごく嬉しい。オレが生きていること自体がイヴの苦痛になっているんじゃないかとか、ミドだって忘れてはいるけどオレのためにずっと研究してくれているとか、そんなことを毎日考えてしまうわけだけれど、今みたいにイヴとミドが笑ってくれたら、ああオレ生き返ってよかったなあ、なんて思えるんだ。